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「トランスクリエーションと翻訳の違い」問題について

以前「トランスクリエーション・ワークショップに参加しました」という文章を書きましたが、最近通訳翻訳ジャーナルの最新号でトランスクリエーションについての記事が掲載されたそうで、ベテラン翻訳者の井口耕二さんが感想をブログに書かれています。

トランスクリエーション? | Buckeye the Translator

上記記事によると、トランスクリエーションとは「ソース言語のコピーが喚起する感情や印象を把握し、それと同じものを喚起させるようなコピーをターゲット言語で書くこと」だそうです。

私の正直な感想は「なにそれ。それって単なる『翻訳』じゃん」です。

… http://buckeye.way-nifty.com/translator/2017/02/post-9199.html

ワークショップに関する記事で言及したオンラインディスカッションでも、また私が参加したワークショップでも、この点は指摘されていました。そこで改めて「トランスクリエーションと翻訳の違い」問題について考えてみたいと思った次第です。

2015年にヨークで開催したIJET-26で、トランスクリエーションを専門にしている翻訳者マイケル・ベニスさんに、「A brief key to transcreation/トランスクリエーション(広告創訳)の鍵をにぎるには」と題するセッションをお願いしたのですが、実はセッションの冒頭でベニスさんも井口さんと同じことを言っていました。

ベニスさんが挙げたのは、あるエージェンシーが出している”The Little Book of Transcreation“という小冊子に出てくる、以下の定義です。

「(広告コピーでは)まるで最初から読者の母国語で書かれたような、そして原文の読者が原文を読んだ時に得た体験と全く同じ体験を得られる訳文を書く必要があり、そのプロセスは翻訳より遥かに複雑なので、それをトランスクリエーションと呼んでいる」というのですが、ベニスさんは「それって単なる翻訳だろ」と一蹴するのです。

確かにここに書いてある定義はまさに翻訳者がゴールにしていること。「翻訳よりはるかに複雑」ではなく、「翻訳とはこれほど複雑なものである」が正解でしょう。

ではトランスクリエーションと翻訳の違いは何なのか? そもそもトランスクリエーションと翻訳は違うものなのでしょうか?

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私の考えでは、「トランスクリエーションと翻訳の違いは?」という質問は「コピーライターとライターの違いは?」という質問に似ていると思います。

端的に言えばコピーライターも物を書いて報酬をもらう仕事なので、ライターの一種であると言って良いでしょう。コピーライターは広告コピーを書く専門職。だから「コピーライターとライターの違いは?」という質問は、「広告コピーとそれ以外の文章の違いは?」という質問であるということになりますが、「それ以外の文章」はいくらなんでも大雑把すぎて、比較の対象として無理があります。「トランスクリエーションと翻訳の違いは?」という質問にも、それが当てはまると思います。翻訳ってそんなに単純なものでしょうか?

 

文章の場合も翻訳の場合も、重要な要素として必ず考慮しなければならないのは、成果物の用途です。

例えば、「マクベスを翻訳してください」と言われたとします。一見わかりやすい注文ですが、翻訳者が作業を始める前に知る必要がある重要ポイントは、「その翻訳を、クライアントがどう使うつもりなのか」です。

・対訳・注解付きシェイクスピア全集に収録する翻訳なのか?

・映画『マクベス』の字幕に使う翻訳なのか?

・舞台で演じるための脚本の翻訳なのか?

注解付き対訳なら、文学研究者が資料として原文と対照しながら使うことができるような翻訳でなければならないし、映画の字幕なら「1秒4文字、1行13字で最大2行」という厳しい字数制限に収まるように翻訳する必要があります。また、舞台で演じる場合は声に出し耳で聞くための翻訳ですから、滑舌の良さや同音異義語などに配慮する必要があるでしょう。出来上がった翻訳は、同じ原文を使っていても全く違うものになります。

「翻訳」が実際どんな作業になるのかを決めるのは、その翻訳成果物の用途である、というわけです。

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さて、広告コピーの場合、その用途はもちろん「広告で使うこと」。広告の目的は、製品やサービス、あるいはブランドを消費者に知ってもらい、買いたいという気を起こさせることです。そしてトランスクリエーションの目的は、元の広告コピーが意図していた市場とは異なる市場で、元の広告コピーが意図していたのと同じ反応を、ターゲットの消費者から引き出すことです。

 

英国でしばらく前に「史上最高の名広告はどれか」という調査があったのですが、トップに輝いた広告のコピーはこういうものでした。

1994年の広告ですが、当時英国に住んでいた人ならこの2語を見ただけでぱっとポスターを思い出せる、という大ヒット作です。

さて、もしあなたが1994年に翻訳の仕事をしていて、日本でもこの広告キャンペーンを展開することにしたからコピーを訳してくれと依頼されたら、どう料理しますか?

「男子の皆さん、こんにちは。」…?

「やあ君たち。」…?

2語だけ渡されて訳せと言われたらそんな感じになるでしょうか。でもこれ、コピーだけ見てもどんな広告で何を宣伝しているのか、なぜそれが名作と言われるのか、まったくわからないですよね?

ではどんな広告だったのか、ここに写真を掲載するのはちょっとはばかられるので、下のリンクをクリックして見てください。

 

“Hello Boys”ポスター(※Victoria and Albert Museumコレクションへのリンク)

 

このコピー、実はワンダーブラという製品の広告で使われたものだったのです。巨大ビルボードのキャンペーンだったため、これに一瞬目を奪われて事故を起こす男性ドライバーが続出しました。2017年の今ならたぶん承認が降りないと思います(笑)。

製品とポスターを確認した上で、もう一度コピーの訳を考えてみてください。今度はまた違うアイデアがいろいろ浮かぶと思いますが、もし私だったら、例えば

「見て見て!」

という感じのコピーを提案するんじゃないかなと思います。なぜか?

 

ワンダーブラは、英国でプッシュアップブラの火付け役になったブランドです。プッシュアップブラというのは、パッドを入れて盛るのではなく、自前の(笑)バストを脇から寄せ、下から押し上げてバストアップする構造設計になっているブラのこと。あまりバストが立派でない女性でも、これを着けると胸の谷間ができる、というのが画期的でした。

この広告の重要なポイントは、モデルの女性がカメラ目線ではなく下を見ていることだと私は思います。下着姿でカメラ目線で「Hello Boys」だったらストリップショーになってしまいますが、この女性は自分の胸を見て「Hello Boys」と言っているのです。ということは、実際に男性に呼びかけているのではなく、独白なんですね。これから女友達と一緒に街に繰り出そうと着替えをしているのでしょうか。ワンダーブラを着けて、出来上がった谷間を見てうれしそうに笑っているのです。貧弱なバストがコンプレックスだったけれど、この製品を使うと立派な谷間ができて自分に自信を持てる。男性の目線もどんと来いという気持ちになる。そんな気持ちの表現として「Hello Boys」という言葉が出てくるのだ、と私は思うのです。

「見て見て!」には「Hello」も「Boys」も出てきませんが、ここで押さえておかなくてはならないのは、この広告が想定しているターゲット。「Hello Boys」というコピーは一見すると男性に呼びかけているようですが、この広告が本当に呼びかけている対象は、ブラの購買層である女性、しかもあまりバストが豊かでない女性なのです。そういう女性の共感を獲得して、「私もこのブラを買って胸に自信を持とう」と思わせることが、この広告の目的なんですね。だからコピーも、「いつもより立派に見える胸がちょっと自慢な女の子の独白」として日本の女性の共感を得られるなら、必ずしもそこに「Hello」や「Boys」という要素が入っている必要はないわけです。

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前述したように、翻訳は用途によって同じ原文でもまったく違う縛りがかかってきます。

トランスクリエーションの用途は広告コピー。そして広告の場合、コピーだけが単独で使われることはあまりありません。ですから、トランスクリエーションでの縛りは、訳したコピーを広告全体の中に置いた時に、対象市場で、狙ったターゲット購買層から狙い通りの反応を得られるように訳すことです。

だから、場合によっては「Hello Boys.」と「見て見て!」のように、原文と訳文が似ても似つかないものになることもあります。「トランスクリエーションは翻訳とは違う」という人もいる、というのはこのあたりが理由なわけですが、「用途によって決定される縛り」という切り口から考えると、それはマクベスの注解付き対訳と字幕と舞台脚本が違うものになる、という現象とそれほど変わらないと言えるのではないでしょうか。

 

最後に、参考書をひとつ挙げておきます。

Simon Anholt, Another One Bites the Grass: Making Sense of International Advertising (2000)

ベニスさんも推奨していましたが、トランスクリエーションに関する本ではなく、効果的な国際広告キャンペーンの作り方について、国際経験豊かなコピライターが書いた本です。トランスクリエーションに興味のある人には非常に役立つと思います。

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